向井去来句碑

向井去来は、慶安四年(一六五一) 長崎市後興善町(うしろこうぜんまち:現在の興善町)に、儒医、向井元升(げんしょう)の子として生まれた。幼名は慶千代、その後兼時、通称を平次郎。字を元淵、号を義焉子、落柿舎、俳号を去来という。
去来が8才の時、向井家は京都へ移住。16才の頃、福岡の叔父の家に養われ仕官をめざして武芸に励みむが、後に彼は若き日修めた弓矢の道を捨てて俳諧の苑に進む。松尾芭蕉や同門の深い信頼を受けて、芭風の代表的撰集「猿蓑」を野沢風非と共に共撰し、また芭風の粋「去来妙」をまとめた。

長崎市内には去来ゆかりの地が数カ所あり、句碑が建立されている。料亭花月の門前には、去来の「いなづまやどの傾城とかりまくら」の句碑がある。ほか、日見峠に近い長崎市薄塚町に「君が手も まじるなるべし 花薄」の句碑(1784年建立)、旧長崎街道沿いに「渡鳥塚」、春徳寺には「時雨塚」、諏訪神社には『ふるさとを 京でかたるも 諏訪の月』の句碑がある。

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