梅園身代り天満宮

長崎の花町、丸山、中の茶屋に隣接する梅園身代り天満宮。元禄13年(1700)丸山町乙名安田次右衛門によって創建され、昔から身代り天神と呼ばれ親しまれてきた。祭神は、菅原道真公(正殿)、宇賀御魂神(稲荷社)である。
身代りと呼ばれるのは、元禄六年(1693)のある夜、創建者の安田次右衛門が二重門(現丸山交番付近)にて何者かに襲われて左脇腹を槍で刺され倒れた際に、不思議とどこにも傷がなく、その代わりに自邸の祠の天神像が左脇腹から血を流していたことによるのだという。その後、この天神様を身代り天神様と呼ぶようになった。
明和安永年間(1770年年頃)より、この場所は長崎奉行の許しにより芝居や見世物、相撲の興行が行われるようになった。また、花町に接していることから、遊女や芸者さんが身代を「みだい」と呼び、自分の生活に苦労がないことを願って多く参拝していた。彼女等は、自分の家で食べた梅干の種を天神様と呼び、持って来ていた。境内には梅塚があり、その中には今でも沢山の梅干しの種が入っている。なかにし礼の小説『長崎ぶらぶら節』の主人公である丸山芸者・愛八もよく参拝していたゆかりの神社だ。
第二次大戦時、丸山町の出征を命ぜられた者は必ず参拝したそうだが、身代り天神によりすべて無事に帰還したと言われている。そのほかにも、虫歯のある人が飴を食べさせると、歯痛が止まるという「歯痛狛犬」や、自分の痛みがあるところと、牛のその部分を交互になでると痛みが引くという「撫で牛」などがある。

長崎銘菓・中華菓子の通販 『萬順製菓』 長崎土産におすすめ